病床洗礼

今日は教会役員の弟さんの病床洗礼式を函館の病院で行った。11年前に突然倒れて全身不随となってから、姉は毎月170キロの道のりを2時間半かけて通って献身的に看病し、クリスチャンとなってからの5年間は、常に彼の救いのために祈り、また病床で福音を伝え続けた。教会でもずっと祈り続けて来た。口で告白することは出来ないが、耳が開かれていること、そしてかろうじて瞬きで意思表示が出来る。しかし体調が悪ければそれさえも彼には負担になる。道中何度も祈らされながら病室に入った。当日はここ数カ月には見られないほど、体調もよく、呼びかけるとしっかりとした反応もあり、主がすべてを備えて下さっていた。イエス様を信じたいと思ったら、目を閉じて下さいとの問いを2度繰り返し、彼は2度とも力強く目を閉じ、はっきりと自らの信仰を公に告白し、病室は感動に包まれれた。そのまま時を移さずそのまま病床洗礼を行い、神の家族とされたことを共に喜んだ。一人のたましいが救われることの尊さと喜びをあらためてかみしめた日であった。主のなさることはすべて時にかなって美しい。ハレルヤ!


「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。 ローマ10:13